仙台での土地探しで住宅購入をご検討の皆様の中には仕事で赴任し初めて仙台を訪れ、仙台の街の魅力を知った事でここに住まいを構える事を決断した方も多いはず。

私が頂いた住宅のご相談でも、宮城県外のご出身の方々が仙台で土地探しを成してのマイホーム計画というケースはよくございます。

但し、仙台暮らしの日が浅いと必ずしも土地勘がまだ十分では無く、「仙台のどのエリアに土地探しするのが良いでしょうか?」とご相談を受ける場面も良くあります。

確かに仙台の街が気に入って頂いたからといって、仙台なら何処でも良いとはなりません。

今現在の住まいの周辺も良いけれど他にもっと良い環境の場所があるなら・・・。と様々考えます。

また、別な視点でのご相談で「〇〇周辺で新築しようと土地探しをしているけど全然良い土地が無くて疲れてしまった」というお話もあります。

「どこが良いか分からないけど、どうやって的を絞ろう」

「エリアは決まっているけど見つからない」

対照的にも見える両者の立ち位置ですが、家づくりの為の土地探しを進めていくにあたって共に注意を払って頂きたい要素があるのです。

それは街の変化です。

 

想像してみよう将来の街の姿を

家づくりの為の土地探しをするにあたって優先すべき条件をご家族で相談しているはずです。

「職場との位置関係」「交通機関」「学校の距離」「付近の環境」「お買い物施設」・・・

優先順位は個々に様々でしょうが、それらを考える評価材料とするのは「現在の環境」という点では共通しているのではないでしょうか?

「最近新しいお店が出来ている」

「今盛んに分譲地を販売している」

「さびれた雰囲気だからここはちょっと」

住宅購入は何度もやり直しが効くものではありませんから少しでも良い環境にマイホームを構えようとすると仙台に限らず何処の街でも「土地探し」の人気スポットは有るものです。

でも、かつての姿から将来その付近がその様の人気スポットになろうとは、多くの方が想像できなかった場所も多いもの。

逆に言えばこれから先も街の姿は変わっているかも知れません

そんな事もちょっと頭の片隅に置きながら土地探しをしてみてはいかがですか。

仙台土地探し

30年前の仙台

私は仙台生まれの仙台育ち、社会に出てからもずっと宮城、仙台人。大手ハウスメーカーの営業マンとして住宅業界に足を踏み入れたのが平成元年バブル真っ盛り。当時は住宅ローンの金利も今では信じられない様な高金利。

また、住宅購入の為の土地探しのスタイルも今とはちょっと違っています。

なにしろ街の様子が今とは必ずしも同じでは無く、仙台の街や仙台近隣含む宮城県各所にも当時とは相当に様変わりした地域も有ります。

30年前(平成初期)いわゆるバブル末期の仙台をご紹介してみます。

 

 

● 仙台市中心部

この頃の仙台駅前西口には仙台パルコもアエルビルもまだ建っておりません。仙台駅正面の青葉通りには仙台ホテルとビブレ仙台のデパートが向かい合い、その周辺に仙台東宝劇場、日の出会館の両映画館の他、ams西武,十字屋の両デパートが建ち並んでおりましたが、ちょっと寂れ加減になり始めたのはこの頃です。

今ではどれも残っていません。ams西武は現在の仙台ロフトになりました。当時は駅前に飲食店もおしゃれなお店は今と違って少なく、ショッピングスポットとしては現在ほど華やかではありませんでした。変わってきたのはアエルやパルコが出来てからでしょうか。

また、仙台駅東口も宮城野通りが完成したのがこの頃ですが、周囲は現在の様に整然とした雰囲気では無く仙台駅西口から東口への近年華やかになった東西連絡通路も当時はいかにも跨線橋で、現在の東口は駅舎も無く、東口といえばまだ地上を走っていた仙石線の古い駅舎が外れにあるくらいでした。

仙石線が地下化されてからでしょうか、東口が現在の様な都市の姿になったのは。

 

● 仙台北部

当時の仙台市地下鉄南北線は北の終点が八乙女駅でした。地下鉄自体が昭和62年に開業したばかり、翌年に旧泉市が仙台市と合併という時期で、現在の泉中央駅まで路線が延びたのは平成4年です。そんな訳で当時の泉区役所周辺はお店も何も無く(その直前まで周囲は農地でした)、今の賑わい等想像がつかない変わり様です。

また当時の人気住宅地ナンバーワンといえば泉パークタウンの高森地区です。住宅建築費2000万弱が平均価格だった当時に5000万前後の新築建売住宅が即日完売等というのも当たり前の人気ぶり。

国道4号線バイパスを挟んだ明石台が始まったはちょうどこの頃で隣接する成田、上桜木、大清水地区が分譲されるのはもう少し後になってから。もう少し仙台中心部に近い加茂、虹の丘地区もこの頃によく土地探しの対象になった場所です。

今と違ってマイホーム計画を立てる際「地下鉄沿線」というキーワードより「綺麗な分譲団地」の方が重視されていた印象です。

 

● 仙台南部

反対方向の仙台市南部も仙台市地下鉄南北線の開通直後でしたが、現在とは様子がだいぶ違ってます。

まず北方面と違い南方面の新規分譲団地は少なく、名取川を越えたイトーピア名取・ゆりが丘とライフタウン名取・相互台、やや遅れて名取市那智が丘と仙台市内にまとまった規模の住宅分譲団地は有りませんでした。ご存知の通り富沢西の区画整理事業は近年の話です。富沢駅周辺もほとんど農地でした。

また、長町南やあすと長町周辺は今の賑わいとは全く様子が違い、あすと長町は長町駅操車場跡地で全て駅構内、街のカケラもまだ存在しません。長町南の仙台モール長町がオープンしたのは平成9年、当時のこの場所は東北特殊鋼の工場が建ち、隣接する住宅展示場も自動車学校でした。

それだけでなくそこから岩沼市まで伸びる「県道仙台館腰線」の名取川にかかる太白大橋も当時まだ存在せず道路自体太白区役所から1キロ程南下した所で途切れておりました。

今では人気の西中田や柳生地区から仙台市中心部へ向かうにはぐるりと迂回しなければならなかったのです。

 

● 仙台東部

仙台市地下鉄東西線がこの時期開通してないのは当然としても、東西線の事業計画すらまだ出来上がってませんでした。終点の荒井駅周辺も街は無く全て農地。そもそも仙台東部方面の土地探しは現在でも農地と工業商業地域が多く、住宅用地を選ぶのには難儀しますが、当時はより大変です。

JR沿線でも仙石線の小鶴新田駅も無く、東北線岩切駅前の現在の様な街の賑わいもまだ無かったのです。

なにせ仙石線が仙台駅から陸前原ノ町駅の間も地上を走り踏切が随所にあった時代ですから。

そんな事情からマイホーム計画の為の土地探しとなると、まとまった規模の分譲団地は利府町や多賀城まで足を伸ばさねばならず、昨今の土地探しとはだいぶ様子が違いました。

 

● 仙台西部

仙台西部方面は近年JR仙山線沿線としての住宅土地需要が定着してますが、当時の仙山線駅はまだ本数も少なく通勤電車としての用途も今程は定着しておりませんでした。

茂庭台、栗生、が当時の人気住宅団地でした。錦ケ丘もちょうどこの頃からの分譲開始でしたが、直後にバブルが弾けてしまい高級住宅街をイメージした当初路線は目論見が外れ、現在の様に需要が復活したのは今から10年程前だったでしょうか。

 

いつの時代もそうですが、その時には皆当たり前の様に求めていた理想像が、時が過ぎるとガラリと風景が変わってしまう事が起こります。30年前のマイホーム計画は仙台郊外の住宅分譲団地で土地探しをするというのが当たり前の時代。現在の様に「鉄道沿線」というキーワード自体が定着してませんでした。

転機は2000年頃からバブルの後遺症で企業が経営の引き締めを図りだし、利便性の高いエリアにあった工場や事業所、社宅等を盛んに処分し始め、それが住宅地として流通し始めたのがきっかけだった様に思えます。

昔話にお付き合いいただきましたが、30年の時の流れは大昔ともいえず、新築時30歳代の方が60歳代になった時の時間軸です。今ではイメージがつかない場所が当時の人気スポットという事は、今の土地探し人気地区が将来的にどうなっているのか?ともいえます。

単に「良く勧められる」「皆が探している」だけではなく環境が変わる可能性があるか?という点も観察してみてはいかがですか。

パートナーズライフプランニングの「マイホーム購入サポート」コンサルティングでは仙台での土地探しのツボもご紹介しながら皆さんのマイホーム計画を住宅資金計画から間取りづくり、ハウスメーカー選びまでトータルでお手伝いいたします。

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