仙台の住宅コンサルタント、パートナーズライフプランニングの栗山です。
新卒で大手ハウスメーカーに入社したのが30数年前。
時代の流れで当時と家づくりの進め方も随分と変化しました。
住宅ローン・土地探し・間取り…とおしゃれな家のデザインだけでなく、その変化は随所に見られます。
住宅購入をご両親など年配者に相談すると、今の時代にはちょっと噛み合わない助言を授かってしまうという話はよくあるものです。
たった一世代の隔たりでも、当時の家づくりの「当たり前」は今では全く違う形に変容している訳ですから無理もありませんね。
そんな時、ただでさえ家づくりで疲れた頭に、更なる「新説?」登場で戸惑いを感じたり・・・。
でも、ポジティブなヒントと捉える事も出来るのですよ。
一体どこにヒントがあるのか?
それは、今では噛み合わないと感じる助言の多くも、当時はそれが「当たり前」であったという点です。
10年~20年~30年という時の流れの中で、当時とは違った方法論が登場したり支持され、「当たり前」が移り変わっていく過程には、技術の進歩や時代背景だけとも断じきれない当時の「当たり前」が見つけられるものです。
「なんで皆んなこんな事してたのだろう?」
「もう少し工夫すれば違ったやり方があったのでは?」
今から見れば後講釈で「なんで?」と思える事が、当時はそれが当たり前という事は意外にたくさんあります。
家づくりは皆さん初めての経験故に、周囲の住宅購入経験者や同様にマイホーム計画進行中の方々の手法を模倣する事で安心を得るという傾向はいつの時代も少なからず有るはずです。
いわばその時々の家づくりの「当たり前」に則していくという事です。
でも裏を返せば、現在皆さんの取り組んでいるマイホーム計画の「当たり前」も時が流れ、月日が経過すれば同様に「なんであの時・・・?」という事が既に有るのかも・・・。
「昔はそうだったとしても今のやり方は大丈夫!」と言い切れるでしょうか。
時代の流れで変化した姿をちょっとのぞいてみる事でその一端が感じ取れるかもしれません。
そして、その変化を知る事でやがては陳腐化するかもしれない今の「当たり前」に束縛されない、もっと自由な発想での家づくりに目を向けるヒントになるのでは・・・。
そこで今回は30年前の平成初期にタイムトリップ。
時はまだバブルの余韻が残る時代。
皆さんの生まれ育った住まいをご両親がその時期に新築されたという方も多いかもしれません。
当時の新築住宅と今の新築住宅は何が違っているのか?
家づくりの進め方に違いはあるのか?
30年前の家づくりの「当たり前」を覗いてみましょう。
⬜︎ 家づくり、30年前の当たり前
<間取り>
昨今の間取りとの相違点は「和室」「キッチン」「ホール・階段」「バリヤフリー」「床面積」に見て取れます。
最近は和室そのものをリビング続きで洋室で設えるケースも見られ、広さも実用性本位で四畳半程度の間取りがよくみられます。しかし当時は「絶対8畳!」「6畳で我慢するか・・」といった世の空気。
(仙台と首都圏で多少この辺りの間取り感覚は違うかもしれませんが)
キッチンも対面キッチンは現在のように必ずしもウケが良いわけでは無く「お台所見られるのはイヤ!」というご意見も多く、対面キッチンの方が寧ろ少数派。
また、当時の標準的断熱性能ではとてもじゃ有りませんがリビング階段などは考えられず、全体的な間取りの構成としても最近よくみるホールを介さずリビングから洗面室、玄関等へ直接接続という間取りはどちらかというとタブー。
結果として建物床面積は現在より一回り広めな間取りが標準的であったといえます。
国交省の着工統計からも新築持ち家一戸建ての全国平均床面積が昨年令和2年の平均が118.16㎡だったのに対し平成3年の平均は137.59㎡という事実からもこれが裏付けられます。
この背景には住宅に求められる住性能のスペックが高くなった事も一因です。
当然これはコスト増に直結し、ユーザーの資金力との均衡を図る為にコンパクトな間取りとし、単価の上昇と面積の縮小でバランスを取る流れの結果とみる事も出来るでしょう。
また、バリヤフリー住宅の考え方が浸透してきたのもちょうどこの頃です。
それ以前は「建具に敷居があった方が隙間が塞がるから」とよくリクエストを受けたものでした。
今では考えられませんね。
<インテリア>
インテリアデザインはそれ以前の洋室でよく見られた壁仕上げを板目にしたり柄のある壁紙の設えに変わり、現在普及している壁・天井を淡色の控えめな柄で同一にまとめていくデザインが普及し定着したのがこの頃です。
比較するとシンプルで明るい雰囲気になりました。
現在の新築インテリアデザインも、主流はこの流れを受け継いでいます。
但し、昨今は床・建具・巾木を必ずしも色を統一せず幾つかの組み合わせでおしゃれで個性的なインテリアデザインを楽しむ設えもよく見られる様になったのに対し、当時のインテリアコーディネートは圧倒的にこれらを全て同色でまとめるのが主流。
建具も最近定番のプレーンなデザインでは無く右図の様にちょっと重厚な框組戸が流行りのスタイル。
そうなるとどうしても表現できるデザインバリエーションは限られてしまいます。
この辺りは昨今おしゃれに大分進歩してきたように思えますが、壁天井のまとめ方が更なる進化のカギかなと個人的には思っています。
<外観デザイン>
今では外壁に窯業系の素材でタイル調や割石調の表現で外観デザインをまとめていく手法が当たり前の様になっていますが、当時の外壁仕上げは単調なサイディング張りか吹き付け仕上げが一般的。
つまり「素材感」での表現は難しく配色頼り。
サッシもそれ以前の味気ないアルミ色を脱し、ホワイトやブラウンのカラーサッシが一般的になってきた頃です。
ブラックサッシが登場したのもこの頃。
爆発的人気急上昇で、一時は世の新築住宅大半がブラックサッシかと思える程の人気ぶりでした。
また、1・2階外壁の間に化粧の胴差しと言われる帯を巻いて仕上げるのもこの頃の新築住宅の特徴です。
この胴差しとサッシのカラーで外観デザインのテイストを表現する技法がよく採用されました。
サッシ、胴差しをホワイトで揃えれば洋風、ブラウンならば和風、ブラックなら当時の現代風、ミックスすれば斬新な雰囲気といった具合位です。
最近は胴差しを巻いている新築の家はメッキリ少なくなりました。
ツートーンの配色も当時は上下階での張り分けが大半で現在の様に縦方向でのアクセントは見られません。
かっこいい家の観せ方も時代の流れで変わってくるのですね。
<土地探し>
土地探しをする際の人気エリアも時代と共に変化します。
私の主な事業エリアである仙台を例にしますと、昨今は仙台市地下鉄やJR沿線といったように、仙台市中心部へ鉄道でのアクセスを念頭に置いた土地探しのご意向がよく登場しますし、そのようなうたい文句の分譲地広告も目にするのではないでしょうか。
でも、30年前はまだバブルの余韻が残っていた時代、駅前の一等地が「住宅地」として流通することは滅多に無く、人気の中心は郊外の大型分譲団地でした。
環境も良く綺麗な街での暮らしをウリにした分譲団地に人気が集まっており、1区画あたりの面積も60坪から70坪代が中心で、昨今の50坪前後からみれば大分ゆったりしています。
仙台周辺で言えば北の泉パークタウンや南のイトーピア名取あたりがこれにあたります。
住環境と利便性といった土地探しの必要要件の変化も背景としてあるのでしょう。
<住宅ローン>
住宅購入の際多くの方が住宅ローンを利用するのは当時も昔も変わり有りませんが、大きな変化といえばやはり金利水準、金利タイプの選択、自己資金準備の要件が挙げられます。
まず、金利については皆さんご存知の通り今の世はゼロ金利時代。1%前後の金利で住宅ローンが借入出来るのが当たり前ですが、当時はピーク時で住宅ローン金利が8%にも到達しておりました。
こうなると毎月の返済額は同じ借入額で比べると1%金利時と比較し2.3倍です。
モノスゴイですね。
でも面白いのは金利タイプです。
現在多くの方が変動金利をハウスメーカーから勧められ、また採用していますが、当時は住宅購入する方の大部分が住宅金融公庫(現在の住宅支援機構)の利用です。つまり今でいうフラット35(当時は最長30年返済)という事は固定金利を選択していたのです。
住宅金融公庫が利用し易い側面もありましたが、そんな状況でも真剣に金利上昇を心配するメンタルがあったのです。
また、今では物件価格に対し100%の住宅ローン融資も珍しくありませんが、当時は80%迄が上限。
2割は自己資金を準備しないと住宅購入に臨めない時代だったのです。
⬜︎ 家づくりの当たり前は変化する
昔話にお付き合いいただきました。
昨今の家づくりとはかなり勝手が違っている様に感じられるのではないでしょうか。
当時は当時の当たり前に従い家づくりを進めるとこの様なスタイルとなったのです。
でも、皆さんがこれから進める家づくりについても同じ事が言えるのではないでしょうか?
今は今の当たり前が有りますがそれに従ってもやがて色あせる時が来る事を、ちょっと頭の片隅に置いておいても良いかもしれません。
間取り・デザイン・土地探し・住宅ローン全てにおいて「皆がやっているから万全」という事では必ずしも無くそれらも変わっていくという事です。
マイホーム計画は皆さん失敗をなんとしても避けようと一生懸命なはずです。
そうするとどうしても「こんなやり方誰もやらないから心配」とか「そんな方法見た事無いからやめとこう」等といった様に、周囲へ右倣えする心理が働くものです。
でも、右倣えしたものも改善の余地があるものなのであれば、それに束縛されるのでは無くもっと自由な発想や懸命な手段を取り入れる余地が生まれます。
昔話からそんな心得を感じ、参考になれば嬉しいです。
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